水濡れインコ

備忘録

ナポレオンと凡人の話

昨日授業でどこぞの偉いひとの話を聞いてたけど、どうにも苦痛で仕方なくて、吐きそうになりながら聞いていた。
言葉を追うと凄くいい事を言ってるなあと思えるのに心にすとんと落ちてくれない。消化されないままに腹の底に溜まっていくような気持ち悪い話だった。

人のために生きよう、自分の楽しいことを仕事にしよう、人生一度きりなんだから。

そういう話だった。
言葉には共感できる所は多かった。
吐きそうになっている自分を気持ち悪いとすら思った。

なんでかなあと思っていた。思いながら必死に聞いた。

結果的に、その人の話から自分は、
権力に負けて、「正しい」ことをせずに、お金を追って生きるような人は愚かだ。そんなことをしないで立ち向かっていく俺の生き方は正しいだろ、学生諸氏もそう思うだろう、思いなよ。
というメッセージを汲み取った。

以下は自分の勝手な妄想である。
多分、この人は自分がこのうえなく大好きで大事だし、自分が社会不適合者だと思ったことすらないんだろう。人間の目に怯えて、影で息を潜めるなんてしたことないに違いないのだ。仕事だって、お金や権利に負ける人は、好きでそうしているもんだと、本当はそこから抜け出せるのに甘んじているだけだと、そう思っている。
この人は人間が大好きなんだな。人間を信じているんだな。

でも、自分は、このメッセージは、大半の人間にとっては毒だと思った。

誰が好き好んでお金ばかり追って生きたいと思ってるんだよ。
誰が好き好んで権力に負けたいと思うんだよ。
生きていられりゃいいだろ。週末に羽伸ばすのだけが楽しみで何が悪い。傷付けられることに恐怖して何が悪い。

それをあんたが、「運良く」強者として生きてこられたあんたが、ネタにして、自分の下に敷いて、これは価値のない人生だ、って学生に高説垂れんのかよ。

自分みたいに卑屈で、この話に素直に共感できない人間は弱者だって、そんなに念押ししなくたっていいじゃないか。

あくまで自分が感じているだけだけど、今どきはみんな強者になるべく頑張ろうね、みたいな風潮があるように思える。
スキルを磨いたり、自分の特別な部分をアピールする必要があったり。就活とかね。
実際自分もそういうふうに思ってた時期はあった。もう挫折したけど。
なんか結局、”普通の人の、安牌の枠に入れるかどうか”じゃないですか?


『自分は強者の側なのだ』と盲信している(?)キャラが最近読んだ本にいた。
ドストエフスキー作、罪と罰の主人公ラスコーリニコフくん。

ラスコーリニコフくんはナポレオンみたいに悪人をなぎ倒し、世の中を良くする英雄的な「強者」でいようとする、というかなろうとする。
けれど彼は作中何度も何度も「自分は強者なのか?」と自問して、強者からの転落に怯える。

そういう視点からいくと、あの人の話はまさに「ナポレオン的」強者の論理だと感じた。
「自分のように「正しいこと」「楽しいこと」を行わない人間が、果たして悪なりや?」と自問したことがないんだろうなと思った。
それはそれで、幸せな人生だ。羨ましいといえば、羨ましい。
けど、それで他人に干渉してくるのはやめてくれ。人の幸せ潰して楽しいか?楽しいんだろうな。