そういやウブドに一人で滞在して思ったこと。
BGM
Mat Maari - Full Song - R...Rajkumar - YouTube
一人旅には向いてない。
一人でいると人生のことやら先行きのことやらひたすら頭を回してる状態になって精神的によくない。
個人的に二人でいるメリット。
・向こうが喋ってくれる(インプットするだけの時間が生まれる)
・予期しない話題が生まれる。
・「これうまいね」とか、些細なことでも共感してもらえたりする
・安心感
自分は人を滅茶苦茶選り好みするし、ネガティブで欝気味なんだけど、でもやっぱり寂しん坊なんだなと思いました。
良く言えば、一人の人とじっくり時間をかけて、深くまで関係を築いていくのを好むタイプ…ってことかね。
Jに「ネガティブにばかり考えるな、ポジティブな面もよく見ろ」と説教を食らったので、最近少し気をつけるようにしている。
奴は自分と違ってちゃんと自分が好きで、明るい気性なので、そういうところにはかなり助けられている。
なんで奴と友達になったんだか、今から考えると凄いけど。
同じことに興味持ってるって、やっぱり大事なのかも知れん。
バリの爆笑日本語Tシャツ
バリの、というかインドネシアの…かな。
目立つ所に引っ掛けてあった。
何故、この文言を選んだのか、そこが理解できない。
就活生の前で着るとヤバそう
JAPANなのに、なんで日本人。
そして、私の自転車。
こういうの、ガイジソ好きだよな。
バンガロールからコーチンに向かう。さよならインド
1/24
バス停に行くためにリクシャーを拾った。
運転席に、どこかで見たような文字の新聞があったので、母語を聞いてみた。
カンナダ語とのこと。よっしゃ~!
私はインドに来たら取り敢えずカンナダ語話者に会いたかった。
昔ネットを適当に検索していた時、そのかっこかわいさに友人にどや顔で見せびらかした言語だったからだ。
それが使われている現地にいるというのは割合に感慨深かった。
バンガロールからコーチン行きのバスに乗る。
道が、この旅ピカイチに悪い。
地震の車みたいな、ああいう感じで揺れる。楽しい。(後で降りたら揺れ感が抜けず、凄まじい不快感を味わったが)
バンガロールは、そういう地区に行かなければITの気配なぞないと聞いたが、本当にないですね。ゴミまみれだし。
途中、マイソールあたりで肌の黄色い牛を何頭か見た。
これ。
ターメリックでも塗られてんのかね…?
J氏が、生きたまま味付けされる、などと冗談を言う。カレー味の肉。
バンガロールからコーチンに行くには、西ガーツ山脈を横切らなきゃいけない。
従って一部分は国立公園内を通る道路を通過する。
まあ、なにも大したものは見られんだろうな…と思いながら、ぼんやり窓の外を見つめていた。
ら、にわかに車内が騒然となった。今にも立ち上がらんばかりのインド人たち。なんだ?
どうも、私たちの逆の窓の方に、何かいるらしい。
程なくしてそれは後方の窓に現れた。
…ゾウだ。
ガチの、野生の、インドゾウだ。
高さ2m強程か?
パオーンと凄まじく見事なゾウボイスをあげながら、速度を落としたバスをどすどすと追ってきている。
どう考えても、威嚇されている。
野性だ…。
あわやというところでバスは速度を上げ、ゾウからバスが遠ざかっていく。
運転手は手慣れた様子なので、よくあることなのか?
ただ、周りのインド人の喜びようを見ると、そこまで頻繁に起こる現象でもないようだ。
よく見ると、小さなゾウも一緒だった。子持ちだったらしい。
僕は興奮気味のJ氏と小さくハイタッチした。
ついでに通路を隔てたインド人とも目があったので、親指を立て合った。
目が合ったら目配せしてきてくれたり、インド人は意外とノリがいい。
それやってる私もノリがいい部類なんだろうけど。
途中で寄ったドライブインで、ロティとタンドリーチキン、ティーを注文。
マレーシアのロティ、南インド人が持ち込んだんだなあ、と感慨深くなるくらい、見たまんまロティチャナイ。
「ナン?」じゃなくて最初に「ロティ?」って聞いてくるのが、凄く懐かしさを感じた。
ロティ、マレーシアで大流行だよ。最早マレーシア代表料理と化してるんですよ。知ってる?
卵やら練乳やらミロやら、入れたい放題なんですよ。びっくりだろ。と思いながら食べた。
作り方は、見たところではマレーシアみたいにびったんびったんやってなかったけど。
ロティチャナイといい、テータリといい、マレーシアに来た南インド人はパフォーマンス好きだったのか、それともマレーシア人がパフォーマンス好きだったのか…。
食べるのが遅い私は案の定運転手に急かされ、店員さんの「これこれ!これに包んで!」という指示に従ってチキンを持ち帰り。
ティーは店員さんが紙コップに移し替えてくれた。いやはやすんません。インド人食べるの早いね。
マレーシアに負けず劣らず、チキンは美味かった。
コーチンの空港に着いて、寝てたら、蚊に手を刺された。
もう少しで出国というのに、猛烈に痒かった。
問題なくゲートを潜り、飛行機に乗り、クアラルンプールに到着。
インド旅、終わり。
そして私はおばのいるバリ島へ、J氏はペナンへ帰ることに。
空港のフードコートで、迷いなくKOREAのブースに突進していったJ氏(韓国人)。
無心で韓国料理を貪る彼の姿は、なんとも言えず哀れであった…。
別れ際、言葉を発する力もなくしたJ氏は、渾身のハグだけして行った。
1ヶ月後、ペナンに戻ってきたら普通に元気にしていて安心した。
インド三昧
1/23
翌朝、休憩所で普通にティーを飲んだ。
固形物を食べられるほどの食欲はまだないが、体調はまあまあ良好である。
どうやら私はゲロ時計を完成するまでには至らなかったらしい。
ここで私までゲロイダーになったらバスを捕まえるのは難しくなる。とりあえずは一安心。
バンガロールに着き、バス旅で疲れた足を休めたかったが、(椅子が合わなかったらしく、浮遊感が抜けないのである)歩き回ってバスを探す。
この後調査をしたがバスが見つからず、疲れたので休んだ。
少し体力を取り戻した(ような)J氏が、ありがたいことに別のサテライト?というバス停にあるという情報を仕入れてきた。
体力さえ取り戻せば流石である。私よりも英語が上手いのだ。
結局、J氏がチケットを取ってくれた。
そしてgandhi nagarというところに戻り、ホテルを取る。
Hotel Likhith International。一泊1300ルピーくらい。
南京虫はいなかった。
http://maps.google.com/maps?f=q&q=12.979167,77.576603&spn=0.029488,0.083942&z=14
このへん。
その後私は一応病院に行くことにした。
そしたら、バンガロールに着いたあと、「やだ!母国の病院に行く!」とかクソ駄々こね野郎だったJ氏が、病院に行く気になったらしく、行こうなどと言う。初めからそうしてくれ。
病院内では、J氏は見事に寝てるだけで、種々の手続きは私が全て行った。
病状に差があるとはいえ、非常に疲れた。
しかし、病院にいたチベット人の女の子がめたくそ可愛かった。
「インドの観光して、食べ物食べて、病院にまで来たんだよ、インド三昧だね!」
という一言がとても有り難かった。外国人のくせに病院のお世話になって、お手数お掛けして、僕の耳は遠いし(英語が聞き取れてない)、それでも笑顔で話し相手になってくれたのは本当に嬉しかった。
夕飯の前に、J氏にこう言ってみた。
ワイ「お前、インドに完璧にやられてんな(fucked up)」
J氏「俺、セッ○スとかもう当分しなくていい」
ワイ「は?」
J氏「インドに嫌というほどヤられた(fuck)から」
中々上手いことを言う。
早くも帰国を決める。
1/22、朝。
隣でJ氏が起きたので、私も起きた。
J氏がトイレに行ったようだ。このパターンは覚えがあった。
J氏が盛大に吐いた(二度目)。
時間を確認すると、昨日とほぼ寸分違わぬ時間であった。
J氏はついにゲロ体内時計を完成させてしまったらしい。あな恐ろしやインド。
しばらく様子を伺っていると、なぜか、別の部屋からも吐くような音が聞こえてくる。
痰かも知れんが、それにしてはえづき過ぎである…。
な、何だこの街、インド人すら吐くのか?ゲロ特異点か?
そして。
ついにJ氏の心が折れた。
ゲロ時計は所有者の精神にかなりの負担を強いる模様。
まあ、1時間も吐き続けたらそりゃ誰でも心折れます。
みんな、インドに行くならゲロ止めも持ってきてね…。
色々私にも問題はありましたけど。
J氏はインドのごちゃごちゃぐだぐだっぷりとか、
現地人と意味もなくアイコンタクト交わしてニヤニヤするとか、そういうのを楽しめるタイプではなかった。
吐いたのには、確実にストレスもあるだろう。
インドに来て6日目?にしてギブアップ。
話し合い、というか、もう仕方ないので速攻でマレーシアに帰ることを決めました。
帰りの便はインドの一番南、コーチンで1週間後に取っていたので、その日程を調整し、超過料金を支払って帰ることになった。
エアアジアだったけど、全然LCCじゃない値段した。
この時から、中央インドー南インド縦断バスの旅が幕を開けた。
mahabaleshwar、最後に飲んだティーがめっぽう旨くてほぼイキかける。
Inter Plazaの隣のホテルの食堂のティーは旨い。
Inter Plazaをチェックアウト。
チェックアウト時間を大幅に(8:30を12:00)遅れたのに、追加料金もなく送り出してくれた。
本当に、このホテルには世話になってしまった。
トイレに紙入れちゃってほんとにすまない。J氏には注意したんだけど…。それどころじゃなかったんだ彼…。
ちょっと南にあるゴア行きのバスはこの日は出ないようだったので、
取り敢えずプネーpuneまで同じ州営バスでとんぼ返りすることにした。
バス停。
時間を聞くと13時。一時間ほどあるのでしばらく待っていると、Enquiryのおっちゃんが来た。
「君たちプネー行くんでしょ?あのバスだよ、乗りなさい」
なんて優しいんだ…。
景色は、信じられないほど綺麗だった。
今でも、この時に見た雄大で鮮やかで、なんの躊躇いもなく「大地」と呼べそうな景色が忘れられない。
東京の狭い電車に乗っている時なんかに、ふと思い出したりする。
日本のどこかにも、誰かにとって、これに等しいほど強烈な景色があるんだろう。
プネーに着いて、即、バンガロール行きのバスを探す。
J氏はもちろんホームで座ってお留守番だ。
しかし、荷物番がいるというのは楽だ。バックパックはあれで結構重いし暑い。
ワイ「あのう、バンガロール行きのバス…」
Enquiry「アブラカタブラ?(謎言語)」
ワイ「あっ、あのう、バンガロール…バンガロールバス…」
謎の第三者「(滅茶苦茶綺麗な英語で)どこ行きたいの?バンガロール?ならあっちの別のEnquiryだよ」
また別所でも。
ワイ「バンガロールのバス…」
Enquiry「ホンニャクコンニャク」
謎の第三者「バンガロール行くのかい?あの辺にバスが来るよ、ちょっと僕が調べてくるからこの辺で待ってて」
謎の第三者「あのバスだよ、ほら、これ。そこにいる運転手に値段と空いてる席を聞けば、教えてくれるから」
ちょっと薄汚いアジア人相手に、ここまでしてくれるのが、不思議で、有難かった。
でも、私も、日本で同じように困っている外国人がいたら、案内するかもしれない。
一度目白に行きたくて、でも迷っているコロンビア人(mejiroをメヒロと発音していたので、南米系だとわかったのだ)を案内したことがある。
物凄く喜ばれて、一緒に写真を撮られたけれど、彼らもこういうこそばゆい気持ちを味わったんだろうか。
インドは修羅の国みたいに言われているけど、結構こういうことがある。
困っていたり、不慣れな人がいると助けようとする人は、どこの国にもどこの地域にも等しくいるんだと思う。
助けられた分、彼らにどこかで返せるだろうか。
その後、バスの値段が、所持金から考えて少し危険な高さだったので、ATMを探しに一人でリクシャー(目的が目的だけに、結構怖かった)に乗った。
大金を下ろして少々怖かったため、「釣りぁいらねぇ!!」と、多めのお金を渡しておさらばした。
バスチケットもしっかり取った。
夜行バスなので、宿代は浮く。
そんなこんなで、私はバスに乗った時、とても疲れていた。
そう、とても疲れていた。
眠いと思ったが、なにか込み上げてくるものがある。
安堵とか、そういう、いいものじゃなくて、なんかこう、もっと、生々しい、胃のあたりから来るなにかである。
時間が経つに連れて、それはより確実に、私を追い詰めてきた。
あ、まずい。
胃から、なにか、ナマステしそうだ。
私は頑張った。
隣には既にゲロイダーの連れがいる。ここで私が吐いてどうする。
しかし、そいつはすぐそこまで来ている。
特に宗教がないので、祈る相手がいない。
濃いグレーのバス座席だった。必死に見詰めていたので覚えている。
結局吐いた。
J氏から貰ったオレンジにあたったのだろうか?
ビニール袋の中の吐瀉物から漂うそのオレンジ臭が、なんだか更にゲロを誘発しそうだった。
正直勘弁して欲しかったが、より頻繁に吐く野郎が隣にいるため、ビニールの口を閉じるわけにもいかなかった。
J氏「吐くとちょっとスッキリするよね~」
ワイ「あー・・・せやな」
J氏は基本的にポジティブなので、空気が暗くなることはあまりなかった。
そこだけは、この旅の道連れが彼でよかったと思う。